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>>Think No.30 実名の武器とリスク [B?]
- 2007-01-08 02:21 think trackbacks(0)
実名が時に有用とされるが、私は疑問に感じる。確かに実名には利点が存在する。どのような利点か。属性という利点である。すなわち「**の**さん」というイメージを定着させることができるということだ。であるが、これは実名にとっての最大最強の武器であり諸刃の剣でもある。
実名を嫌うのは「**の**さん」というイメージを定着させることができるということを嫌うことに他ならない。例えば顔を出さないテレビの人間は顔を出されると「**の**さん」がテレビに出ていたんだ! と思われてしまうからである。それは良いこともあれば当然ながら悪いこともある。良いことだけならば人はどんどん実名を推進するだろう。けれども少なくとも多くの日本人はそうでないと解釈する。実名でありたがらないのは「**の**さん」というイメージを定着させることによるリスクを嫌うからである。例えば「お前テレビで**なこといってたんだ」と思われるのは嫌であろうから顔を隠して声まで変えて画面の向こうにいるのである。
これは実はネットでも同じことが言える。「**の**さん」は「**」な言動をしていたのかと知られることを嫌う人間が多々存在する。どうしても「**の**さん」という顔を切り離したいのだ。だから多くの人はネットだけで通じる半匿名を用いる。けれども半匿名ですら「**の**さん」というイメージを有してしまう。有名となった「電車男」は「電車男」のイメージをどの場でも持ってしまう。これでは困るから匿名が推進されるのだ。もし半匿名や実名でも場所によって「**の**さん」が異なるのであればその必要性はどこにもなかったであろう。
度々議論場では半匿名ないし実名でも議論は成立するという。匿名相手でである。けれども少なからず匿名はそれを忌諱する。何故か。例えば「**の**さん」について議論していたときに「**の**さん」が降臨してしまったら議論どころではないし、逆に「**の**さん」というイメージによって「**の**さん」の言うことなら何でも正しいやと思う人やこの人の言う事は間違いだ! と解釈する人々も出てくるのである。従って匿名の場では半匿名や実名が好まれないのである。匿名には信者もいなければアンチもいない。ところがそこに信者とアンチを有する半匿名が現れたらば議論がかく乱されてしまうであろう。何故ならば「**さんが何を言ったのか」が結局は重要視されてしまうからだ。であるから私はなるだけ信者の多いようなコミュニティには出向かないようにしている。議論が私の主張方向に傾いてしまうからである。
これは議論に限った話ではない。2chで匿名ユーザーが主導権を握ったのは最初2chを利用しているのは「**の**さん」だというイメージを与えるのが嫌な人間によって生み出され成り立っていったからだ。そしてその人間への共感が今日もあるから匿名は廃絶されない。この心理を理解しない限り匿名廃絶には進まないだろう。
もっとも、大半の実名論者は普通に生活している上で(現実にもネットにも)生活に大した支障が出ない事を知っている。「**の**さん」のイメージを与えることが嫌な人間があまりにも過大にそのダメージを予測する結果実名廃絶論が出たのは非常に嘆かわしい。確かに完全に廃絶されるのは問題だろう。だけれども過激に言うほどまでではないのだ。匿名・半匿名・実名はあくまで使い分ける為の道具に過ぎない。そしてそれぞれにはそれぞれのメリットとデメリットがある。本来ならば場所や時によって使い分けるのが理想であるのだ。文責を追求することも勿論大事だが「**の**さん」というイメージをはがしたい心理やはがす必要のある場所が存在するということを見落としてはならない。
もう少し書こう。時としてネットは多数の人間が自由に閲覧できる場所である。であるが故に実名でのべればあたかも現実の自分がネットに晒しだされて現実の自分をまるでコンビニにおいてある雑誌のように読まれていくような不気味な不快を味わう人間がいるかもしれない。けれども半匿名であればその心配は薄れるし、匿名であれば誰が言ったのか分からないで済むという安心感がある。ネット住民実名化にはまだまだ程遠いのは「ネットが半匿名・匿名が当たり前」と思われているだけでなく、それ以上にこのような心理を持っているからかもしれない。また過敏に個人の名前すら出す事が憚られると感じるからではなかろうか。